自称睡眠障害の寝言

昼の過眠に悩まされる社畜の寝言

I was born

----I was bornさ。受身系だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----

この文章を国語の教科書で読んだ人もそこそこいるのではないだろうか。私自身がいつ読んだかは正確に覚えていないが、たしか小学生の頃に読んだと思う。この後に蜉蝣の話が出てくるがそこはあんまり覚えていない。

生まれてきたのが自分の意志ではない、というフレーズは不思議と心に残り続け、社畜となった今でも覚えている。事実、人が生まれてくるのは両親のSEXで行われる精子運動会の結果であって、そこに当人の意志は介在しない。人は生まれさせられるのだ。赤ん坊はこの腐敗した世界に落とされたgod childである。鬼束ちひろ好きです。

何が言いたいかというと、好きで生まれた訳でもないなら生きる理由とはなんぞや?という話です。誰しも1度は考えたことがある(と私は思っている)問題だが、未だに悩み続けている。

特に就活以降この問題について考えることが多くなった。私はひねくれた根暗なので、仕事をする理由は生きるのに必要な金を稼ぐ為で、それ以上でも以下でもないと思っていて、仕事で自己実現!とかすごい嫌いなタイプである。ただそうすると、こんなに嫌だなぁと思いながら毎日仕事してまで生きる意味とはなんぞや?という思考に陥ってしまう。

大学を出るまではそこそこ裕福な親の庇護下にあって、生きるのに必要なコストを自分で払う必要がなかった。だが、就職して社畜になってからはそうもいかない。まだ実家暮らしなのであまり偉そうなことは言えないが、来年の4月には家を出ろと言われている。一人暮らしを始めたらいよいよ生きるためのコストを全て自分で払わなければならない。その状況に置かれたとき自分がどうなるか少し不安である。

コストを払って生きるに足る理由が欲しい。日々がまるでつまらないとは言わないが、日ゲーセン通いと野球観戦は生きる理由とするには少し物足りない。恋人でも出来れば何か変わるだろうか。昔いたときはだいぶ幸せだったし…

今こうして生きている皆さんは、この問題についてどう答えを出したのか。いつまでもそんなこと言ってられないと折り合いをつけたのか。そもそもこんなことを考えるのは私が根暗だからで、万人が抱える悩みではないのか。そんなことを思いながら今日も労働に勤しみます。